おはようございます

ここ数日、目覚まし時計に頼らず5時台に起きることに成功している。早朝特有の、予感を孕んだ静けさが心地よい。気分の曲を流しながら、隣人を起こさないような簡単な家事をこなしたり、雑務をこなしたりしている。早起きは三文の得、とはよく言ったものだなと思う。

 

 昔から、寝起きが得意なのだ。数少ない、自慢できることのうちの一つである。寝付きがよく、掃除機をかけられても起きることはなく、でも起きる時間にはスッと覚醒して動き出せる。体内時計もかなり正確だった。加えて幼い頃から頭を使うことが好きだった。小学校に入る前から、起きるなり四則演算の出題をせがむような迷惑な子供だったらしい。教材(チャレンジ)を与えられてからは、早起きして机に向かい、学習意欲を一人で昇華できるようになった。勉強が好き、というといい子のように思われがちだが、楽しいと感じるのがたまたまそれだったというだけである。

 

 大学時代にそれが崩れた。起きられない、眠れない、生きる意欲も持てないという時期が続き、惰性で試験をこなして逃げ出すように卒業した。このときのことはいつか改めて書いて、まだ心に残るわだかまりを整理したい。

 

 今は英語と漢字を勉強することが多い。高校数学の復習もしたい。最近また学ぶことが楽しく感じられるようになってきた。起きることも簡単にできるように戻った。気分はまだ全快とはいえないが、ゆっくりとでも前に進めているから、ひとまずそれでいいのだ。

いただきます

 くたびれる一日だったから、せめて夜はおいしく米を炊こうと思った。たいして使い込んでいない炊飯器に「熟成炊飯」というモードがあるのを見つけ、これだこれだとスタートボタンを押したところ72分もかかるらしい。いつもなら本を読むかスマホを眺めるかするところだが、娯楽を享受するにはちと脳が疲れていたため、文字でも吐き出そうと考えた次第である。

 

 以前からブログという形式に関心があった。

 個人的な浮き沈みは手帖に書き付けていたし、承認欲求はSNSでだいたい満足できていた。家族とは用がなくても連絡を取り合う関係であるし、たとえ死んでも仲良しのままだろうなと思える友人もいる。

 ただ、日々頭の中に流れ消えてゆくよしなしごとを、置くための場所がほしいと思った。伝えたいわけでも、見てもらいたいわけでもなかった。実態を持たない考え達に文字という肉体を与え、客観的に「自分」を眺めてみたいと思ったのである。ただし、いつでも誰でも見えるところに置くことで、ある程度の冷静さは保ちたかった。

 

 思いついたときに、思っていたことを書くことにしようと思う。文体のテンションも時系列も出鱈目になるだろう、あるいは、書くことに興味が離れそれきりになるかもしれない。でもそれがまかり通るのがブログの優しいところであるし、匿名の個人ブログという責任感の無さが心地よいのだ。

 

 気まぐれでいこう、と決めたところで陽気な電子音が聞こえてきた。熟成された(?)米が炊き上がったらしい。きりがいいので今日のところはこれで終わろうと思う。

素敵な夕飯を祈って。