いただきます

 くたびれる一日だったから、せめて夜はおいしく米を炊こうと思った。たいして使い込んでいない炊飯器に「熟成炊飯」というモードがあるのを見つけ、これだこれだとスタートボタンを押したところ72分もかかるらしい。いつもなら本を読むかスマホを眺めるかするところだが、娯楽を享受するにはちと脳が疲れていたため、文字でも吐き出そうと考えた次第である。

 

 以前からブログという形式に関心があった。

 個人的な浮き沈みは手帖に書き付けていたし、承認欲求はSNSでだいたい満足できていた。家族とは用がなくても連絡を取り合う関係であるし、たとえ死んでも仲良しのままだろうなと思える友人もいる。

 ただ、日々頭の中に流れ消えてゆくよしなしごとを、置くための場所がほしいと思った。伝えたいわけでも、見てもらいたいわけでもなかった。実態を持たない考え達に文字という肉体を与え、客観的に「自分」を眺めてみたいと思ったのである。ただし、いつでも誰でも見えるところに置くことで、ある程度の冷静さは保ちたかった。

 

 思いついたときに、思っていたことを書くことにしようと思う。文体のテンションも時系列も出鱈目になるだろう、あるいは、書くことに興味が離れそれきりになるかもしれない。でもそれがまかり通るのがブログの優しいところであるし、匿名の個人ブログという責任感の無さが心地よいのだ。

 

 気まぐれでいこう、と決めたところで陽気な電子音が聞こえてきた。熟成された(?)米が炊き上がったらしい。きりがいいので今日のところはこれで終わろうと思う。

素敵な夕飯を祈って。